黒岩少年少女囲碁教室
偉人キング牧師
囲碁について

私の生徒達    

2003年1月7日


 皆さん。黒岩少年少女囲碁教室にご案内しましょう。

 教室 は、毎土曜日に開かれます。(2003年1月当時)

 昨年6月にピカピカの1年生が2人、そして9月と11月に6年生が1人ずつ入門してきました。

 今教室には4人の生徒がいます。


         ******


 私の生徒達T

 今日は特にある1人の生徒をご紹介したいと思います。

 その生徒は、ごくふつーの子供で、おとなしい、けれども着想豊かな、学校では国語や算数の大好きな少年です。

指導碁とはいえ、対局に負けると、彼の目に涙が溢れることがあります。けれども男の子らしく、懸命に我慢して
けして声をたてたりはしません。

反対に、彼が勝った時は、そのかわいい腕で小さく ガッツポーズをします。けっして目立つようにではありませんが。

    左から ふつーの子、負けた時、勝った時。

入門したての頃、彼は2回続けて勝って昇級が決まると 落ち着きがなくなり、すぐにでも家に帰りたいそぶりになります。

勝つのはとても嬉しいのですが、置石が減るとどう打ったら良いかわからなくなるからです。


 或る日二連勝して置石がひとつ減りました。

次の新たな対局では、彼は迷ったあげくついには負けました。

 こんな場合の彼の涙は、悔しさ故の涙ではありません。絶望故の涙です。

彼は、どうすれば勝てるか全く分からなくなっているのです。

  然し私が、「今まで置石があったところに、最初に打ってみれば?」と示唆を与えた途端、

彼の顔が明るい電灯のように輝きました。

それから彼は当然のように私を撃破してしまうのです。


 生徒達には死活の問題を宿題として沢山出します。

生徒は、18問ある宿題を突破すると、新しくまた18問の宿題を与えられます。

それらを完成させるのに、他の生徒が2から3週間かかることもあるのに、
その生徒は宿題を貰うと次の日までにやってしまうようです。

彼には、石の死活の急所が、理屈でなく直感で 分かるようです。


お分かりのように 彼は、既にかなりな碁キチです。

例えば或る土曜日の教室で彼は私に訊きました。「先生。明日も来ていい?」


又或る土曜日何気なく私が彼に尋ねました。「家に帰ってこれから何をするの?」

彼は直ぐ答えました。「おとうさんと碁を打つの。」


私の生徒は皆大変個性的で、才能豊かなこども達です。

毎月それぞれの生徒の親御さんにレポートをお渡ししているのですが、お子さん達の成長は、私の喜びでもあります。

これから、このコーナーでは、1人1人をご紹介してゆく予定です。



私の生徒達U

2003年1月31日

 このコーナーでは、もう一人の一年生を中心にご紹介しましょう。

 昨年6月にお試し入門するときには、一年生二人共ずいぶん幼くて、お母さんがたも
「ちゃんと座って碁を覚えることができるかしら」と危ぶんだものですが、
この生徒も九路盤で13子の手合いから初めて、7ヶ月で十三路盤の6子まで
着実に上達してきました。

最初のうちは、2時間の教室のうち途中20分位はおやつをはさんで庭に出て、3人で
トンボや 蝉を追っかけて気分転換をしましたが、もう今は長時間の休憩は必要ありません。

それを思うとずいぶんと大人になったと感じます。

 但し、ここでちょっとしたおことわりが必要です。

長時間の気分転換の必要は全く無いのですが、彼の目と心は常に四方にアンテナを張り巡らしていて、
教室に来る途中でも、碁を打っている時でも、何か面白いものを発見してしまいます。

教室が終わって皆が帰った後、彼が座っていた所にはたいてい何かが残されています。

変わった色の石ころ、トンボの死骸、お守りなど、彼を慕ってここまでついて来たものの、
そこで力つきたという感じで座布団の下などにひっそりと残されています。

   力尽きたお守り袋、トンボと変わった色の小石。

 又、ついでにここで書くと、これは誰がやったのかは定かではありませんが、
皆が帰った後にはいろいろちょっとした事件が待ち受けています。

テレビが映らなくなっておんぼろもついに寿命かと諦めかけたら、私も使い方を知らない
何とかキーを押してあったり、張り替えた障子に小さな穴があいていたり、日曜大工で作った
白木の机にちょっとした鉛筆の落書きがしてあったり。

毎回教室終了後の掃除の際は、今度は何が起きるだろうと、何と言うか怖いもの見たさという
言葉がぴったりです。

先生

 一年生に話を戻すと、彼は大変率直です。「姉ちゃんとけんかしてどうなった」とかちゃんと報告してくれます。

また上級生にかなり率直に大胆なことを言うので、そんな時はこちらの方がハラハラしてたしなめざるを得ません。

 彼の碁の覚え方は、自分で納得するまでいろんな形を試してみるので、短期的にはまわり道かも知れませんが、
でも着実に上達してきていますので、長い目で見れば到達点に違いはないのでしょう。

私がつい何度も「こう打った方が良い」と言うと、両耳を押えて私の顔を見つめます。

私の長男が小学生の頃、勉強を教えるつもりで何か言うと、自分の両方の耳たぶを握って目も瞑り、
「耳がギョウザ!目もギョウザ!」と叫んでいたのを思い出します。

碁の勝負は、技術だけでなく、安全確認とか棲み分け感覚など大人的な心の要素の比重が大きいので、
少し成長すれば大幅に碁も変身するでしょう。

 子供囲碁大会に参加するようになって何局目かに、本人はもとよりご家族や私たち仲間も渇望していた
初勝利を挙げた時は、お母さんにしがみついて勝利の報告をしていました。

勝ったよ!僕勝ったよ!



 びっくりさせられるのは、こんなに小さいのに大人顔負けの格言・金言の類を沢山諳んじていて

意味も用法もかなり的確につかんでいます。

これも憶えて皆に教えよう。

何処でそんなことを覚えたのか、どうしてそんなことが覚えられるのか、きっと彼の心の世界には、
とても個性的なニューロンのネットワークが構築されつつあるのでしょう。

構築中の個性豊かな神経細胞ネットワーク。

 

 とまれ、教室に来る子供は、皆お父さんが大好きです。そしてライバルでもあります。

この子も全く同じで、「お父さんと碁を打った。」「お父さんと特訓してきた。」「お父さんに勝った。」と
話を聞くとき、そのことをつくづく感じます。

そこでこちらが「お父さんより強くなったんだ。」などと尋ねると、とんでもないことを言うやつだという顔で
「お父さんの方が強いよ。」と返してきます。

I love おとうさん.



わが教室は 「囲碁を通じて子供に対話と自信を」 が モットーです。

親子の対話・人との対話、自分というものへの自信、を どのようにして育ててゆくか? 
これからも続く大きなテーマです。


最終更新日2024年4月20日

このページの初めに戻る